2. 幼少期・家業での経験
1973年7月、大洲市常磐町に生まれました。家族はアイスクリームの卸売業と食料品店を営んでおり、私はその長男として育ちました。幼少期は大洲乳児保育所、喜多保育所、喜多幼稚園を経て、1980年に大洲市立喜多小学校へ入学。当時は団塊ジュニア世代で、児童数1,100名を超える南予一のマンモス校でした。1982年、家業の拡大に伴い東大洲へ転居しました。
3. 学生時代の学びと挫折
1986年、大洲市立大洲北中学校に進学。家業が最盛期を迎え、学校よりも家の手伝いに多くの時間を費やしました。父の運転する冷凍配達車で各地を回り、夜は松下寿電子大洲工場の売店で自動販売機の補充も担当。これらの経験を通じて、商売の現場や地域の地理を学びました。
1989年、愛媛県立大洲高等学校普通科に入学。中学時代は勉強に自信がありましたが、高校では授業についていけず、2学期から卒業まで非選抜クラス(バラ組)となりました。しかし、クラス室長には7回連続で選ばれ、教員との交渉力を身につけました。高校3年時には校則緩和運動に挑戦するも、挫折を経験します
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